30分で理解する歴代4番に座った男たち〜大阪桐蔭高校編〜
黄金時代の真っ只中
最近10年で春(選抜高校野球大会)3回、夏(全国高校野球選手権大会)4回の優勝を果たし、史上1校の春夏連覇を2度達成している大阪桐蔭高校。
数多くのプロ野球選手を輩出しております、高校野球ファンいや大阪桐蔭ファンがいてもおかしくないだろう。
投打の活躍があってこその功績であり、今回は『打』に注目してみた。
2001年〜2019年までの歴代4番にスポットライトを当ててみよう。
※情報は主にwikipediaを参照
スター選手が勢ぞろい
2年から4番に座りチームの主軸を担い、高校通算83本塁打を放つが、甲子園出場はゼロ。ただのホームランではなく飛距離も伴っていたことから『浪速のカブレラ』との声も上がっていた。ミート力もあり当たればホームラン、と高校時代から恐れられていた。
2002年
西岡剛
千葉ロッテマリーンズ 1位→ミネソタ・ツインズ→阪神タイガース→栃木ゴールデンブレーブス
PL学園で野球をすることを望んでいたがセレクションに落選。打倒PL学園を胸に大阪桐蔭へ進学。PL学園が対外試合禁止の時期があったものの3年間でPL学園に負けるたことなかった。高校通算42本塁打とパンチ力には欠けるが、それをも凌駕する走攻守3拍子揃った4番として活躍した。
二人の4番がしのぎを削った2003年。星田は2002年からレギュラーで甲子園も経験しており、そこに瀬口が名乗りを上げる。二人とも有益な情報があまりなかったので、詳細がわかる方は教えてください。
既に完成された肉体を持ち合わせており、入学直後から上級生に混じり練習を許されていたのは1年生の中では平田だけであった。1年夏から6番でレギュラーを掴むと、持ち前の打力を買われ秋からは4番に座るようになる。2005年夏の全国高校野球選手権大会ではPL学園・清原以来となる1試合3本塁打を放ちその名を歴史に残すことになる。甲子園通算5本塁打、高校通算70本塁打を記録している。
2006、2007年
中田翔
北海道日本ハムファイターズ 1位
1年夏から5番でレギュラーの座を掴むと、秋からはエースで4番の大役をも掴む。肩の故障もあり投手での活躍こそ光るものこそ少なかったが最速151km/hのボールを走らせていた。しかし持ち前はやはりパワーである。2年での秋季近畿大会準決勝の市川高戦では推定飛距離170mの超特大本塁打を放ち、この頃から『平成の怪物』と呼ばれ始める。甲子園通算4本塁打、高校通算本塁打は当時の新記録となる87本塁打を記録する。北海道日本ハムファイターズとの契約時には史上5人目となる契約金1億円、出来高5000万円、年俸1500万円で契約する。
中田翔の4番を引き継いだ萩原は、3年生の夏の全国高校野球選手権大会では3試合連続本塁打と持ち前のパワーを発揮し大阪桐蔭の4番の名に恥じない活躍を見せていた。しかしパワーだけで終わらず、打率は5割を超え、さらには1大会(6試合)で個人最多となる15打点を記録するなど、チャンスメーカーであり、チャンスにも強い4番として活躍した。
2009年
中谷良也
同志社大→ソフトバンク株式会社→外資系保険会社
2年生ながらスタメン入りすると3年生では主将で4番を務めた。ームでも一定の評価を受けていたが、入部当初はあまりの実力差に愕然としたが、だからこそ本気の努力をしたそうで、練習時間は、なんと早朝6時から夜の11時半まで。プロでも成しえないこの練習は800日以上に及び、1日も休まずに練習に参加したのは、中谷氏1人だけだった。持ち前のひたむきさ、性格が周りを惹きつけチームを鼓舞するまさにキャプテンシー溢れる選手であった。
2010年
江村直也
千葉ロッテマリーンズ 5位
中田翔に憧れ大阪桐蔭へ入学すると、1年秋には5番正捕手でレギュラーに名を連ねる。大阪桐蔭歴代No.1とも呼び声高い地肩の強さは遠投120メートルを誇る。高校通算本塁打こそ16本と少ないが打撃面ではここぞの場面、ここぞの一打が多い印象がある。
2011年
河原右京
早稲田大→トヨタ
1年秋からレギュラーに定着。何も本塁打を打てるのが4番ではない。コースに逆らわず右に左と広角に打ち分ける打撃が売りで、ライナー性のあたりを放つ強打を持ち合わせている。また守備では難しい打球を卒なく捌く守備力も光る。
2012年
田端良基
亜細亜大→日本ウェルネス大学北九州→スーツ事業代理店代表
おかわり君2世と呼ばれるパワーは中村剛也に劣らないものがある。甘いボールを逃さず、特徴でもあるフルスイングで捉えた打球の多くがスタンドインであった。春の選抜高校野球では甲子園で唯一大谷翔平から本塁打を放っている。高校通算22本塁打。
2013年
近田拓矢
亜細亜大→?
2年春からベンチ入りすると、最大の武器であるパワーを認められ4番を担う。そのパワーの源は力強いフルスイングであり、振り切ったバットが背中に届くほどだ。飛距離は先輩である平田良介、中田翔に迫るものがあり、西谷監督からは『キンデラン』と名付けられる。粗削りで課題も多くある中でもそのパワーは見応えがあった。高校通算14本塁打。
先輩である中田翔に憧れて大阪桐蔭に入る。その非凡なセンスを認められるも、幾度のケガの影響もあり3年でようやくレギュラーの座を掴む。持ち味はやはりフルスイングで、なおかつ強烈な打球を飛ばす。高校通算19本塁打。
1年秋からベンチ入りすると、チャンスをもらった試合では大車輪の活躍をするも、コンスタントに試合に出続けると調子を落とす課題があった。2年春の選抜高校野球では4番に座るも、3年夏の全国高校野球選手権大会では8番に座る。西谷監督は『身体能力は平田や浅村よりも上』と太鼓判を押している。長打力に加え、走れて守れるバランスの取れた選手。高校通算20本塁打。
2016年
三井健右
立教大
2年秋からベンチ入りし、その後レギュラーを掴み4番の座へ。恵まれた体格も持ち、しっかり振り切ることのできるフルスイングで強い打球を飛ばす。走力も魅力の一つで打って走れる4番であった。高校通算10本塁打。
2017年
山本ダンテ武蔵
國學院大
オコエ2世とも呼ばれる4番は走っては50m6秒1、投げては遠投100mの地肩を持つ。さらには俊足を活かした守備範囲は広く、チームのピンチを幾度も救った。まさに走攻守3拍子揃ったバッターだ。2年夏まではベンチ外も秋から頭角を表すと、打っては固め打ちの活躍が多かった。高校通算15本塁打。
2018年
藤原恭大
千葉ロッテマリーンズ 1位
1年夏からレギュラーを掴むと3年からは4番を打つ。走攻守揃った選手とはまさにこのことかと言わんばかりの活躍を見せる。打っては高校通算32発、甲子園通算だと19試合87打数25安打打率.318,5本塁打21打点と大舞台での強さも光る。走っては50m5秒7、一塁まで4.0秒台で駆け抜け、盗塁も果敢に狙うスタイル。守備範囲も広く、遠投は110m、投手としても144km/hを記録し強肩が証明されている。
※2021年10月12日追記
2019、2020年
船曳烈士
中学時代は通算43本塁打の長距離打者。172cm75kgと小柄ながらもそのパンチ力は本物だ。まだまだ成長著しい1年生ルーキーでの4番は注目が大きかった。思い切りが良く長打力のある打撃で高校通算22本塁打を記録。
仲三河優太
埼玉西武ライオンズ 7位
大阪桐蔭ではエースとして期待され1年次からマウンドに立つなど投手として評価されていた(中学では小山ボーイズに所属し、全国大会やジャイアンツカップで準優勝の立役者となる)。
打者としては4番に座ることも多く、ここぞの場面で決めてくれる広角に打ち分けられる好打者として注目されていた。高校通算11本塁打。
2021年
池田陵真
オリクッス・バファローズ 5位
国府小6年の時にオリックスJr.入りを果たし、和泉中の時には硬式・忠岡ボーイズで中3夏のU15W杯に主将・4番・レフトとして出場するなど小、中時代から評判が高かった。大阪桐蔭では1年から背番号8でベンチ入りする。
172cm85kgと身長はないものの体が大きく、スイングスピードの速いバッティングから強打が持ち味で、2年秋に主将となり4番にも座るようになる。高校通算25本塁打。
花田旭
大学進学
池田陵真と並んで4番を打つバッター。中学時代は通算35本塁打と評判が高く、大阪桐蔭では1年秋から背番号3をつけてのレギュラーとなる。
打球スピードが速く、打球角度も高い打撃が魅力的であった。また広角にも打ち分けることができる。
高校通算35本塁打。
2022年
海老根優太
中学時代はU-15日本代表の主砲であり、所属していた京葉ボーイズでは春夏連覇の立役者でした。特徴はパワーだけでなく、陸上100mにて全国4位になるなど俊足も兼ね備えている。
いかがでしたでしょうか。プロ入りした選手から、はまたは別の世界で活躍している選手までいましたが、やはり高校時代は伝統の大阪桐蔭の4番を担っていた功績は揺るがないものです。今後も大阪桐蔭には注目していきたいです。
また別のシリーズでお会いしましょう!
何かリクエストがあればお待ちしております。
ハイ