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30分で理解する歴代エース番号を背負った男たち~横浜高校編~

史上最強とも謳われた横浜高校

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春(センバツ大会)15回、夏(選手権大会)16回出場。
1998年には明治神宮・国体を合わせた史上唯一の四冠を達成しているのが横浜高校だ。
数多くのプロ野球選手を輩出し現在もプロの第一線で活躍している。
かと思えばそうでない選手もいる。

今回は各年でエース番号『1』を背負った男たちについて書いていきいます。
期間は1996年~2016年の20年間をピックアップしてみました。
(※情報はWikipedeiaを参照しています)

 

 

 

1996年 松井 光介亜細亜大学JR東日本東京ヤクルトスワローズ
         (現在は、東京ヤクルトスワローズの打撃投手兼スコアラー)

 

 

 

 

 

 

 

 

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シニア時代は投手だったが、同期に丹波慎也がいたため投手としては同学年内では2番手だったが2年次より外野手としてプレー。
同年の第76回全国高等学校野球選手権大会に横浜高は5年振りの出場を果たすが、那覇商に初戦で敗れている。
19995年夏の神奈川予選敗退後、エースで4番の丹波を中心とする新チームを結成するが直後の1995年8月17日の朝、その丹波が就寝中に先天性肥大型心筋症による心臓発作を起こし急逝。ナインを初め、監督達も悲しみに暮れたが、この悲劇をきっかけに松井は急遽エースとなる。
1996年に念願の甲子園春夏連続出場を果たし、1996年春は1回戦で大阪学院大高に1点差で敗れた。
しかし同年夏は初戦で山田秋親がいた北嵯峨に、8回表まで0-1とリードされていたが、8回裏に逆転で下して勝利を飾る。
次の試合では福井商に8回裏までに4-2とリードしながらも、勝利寸前の9回表に自らの悪送球をきっかけに、逆転で敗れてしまった。奇しくも福井商に敗れたその日は前年亡くなった丹波慎也の命日であった。

 

1997,98年 松坂 大輔 (西武ライオンズボストン・レッドソックスニューヨーク・メッツ福岡ソフトバンクホークス

 

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3年生時に150km/h超の球速を出し、切れ味鋭いスライダーを武器に超高校級の投手として「平成の怪物」として注目を浴びる。
1998年春では完成度の高い投球と小山、後藤、小池らチームメイトの活躍で他校を寄せ付けず優勝。
1998年夏では、準々決勝で上重、大西、平石、田中を擁するPL学園高校に延長17回という長丁場の末に250球を投げ完投勝利。
翌日の準決勝、寺本擁する明徳義塾戦でも1イニングに登板し、逆転劇を呼び込む。
決勝の京都成章戦では史上2人目となる決勝戦ノーヒットノーランという快挙。圧倒的な活躍で春・夏連覇を達成した。

 

1999年 斉藤 弘樹 (関東学院大→宮大工?)

 

松坂卒業後の新チームは相当なプレッシャーの中ではあったが、
絶対的なエースが存在していないなかで、左の袴塚との2枚看板を軸にし、1年畠山を控えにおく投手陣であった。

 

2000年 小澤 晃弘 (亜細亜大学→?)

 

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1年生からベンチ入りを果たし夏の県大会で登板。
2年春センバツ出場し甲子園では3番手で登板した。その後故障に苦しむも、3年夏に完全復活。
県大会を防御率1点台の投球で乗り切り甲子園出場を卒なくこなす。
当時は先輩・松坂に似たフォームから切れ味抜群のスライダーを武器に130キロ台後半の伸びのある速球とカーブ、フォークで三振の山を築いた。
安定感抜群の投球で甲子園ベスト8進出の立役者となり、打ってもでも甲子園で本塁打を放つなど野手としての潜在能力も披露した。
甲子園では敗れるも秋の国体では優勝を飾り高校野球生活を終えた。

 

2001年 畠山 太 (日本大学富士重工
         (2015年限りで引退)

 

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入学時から左の松坂と期待され、1年からベンチ入りを果たす。
夏の県大会にも登板し経験を積むと、秋県大会では参考記録ながらノーヒットノーランを達成。
その後フォームを崩し成長に伸び悩んだ時期もあったが、3年夏は、県大会準決勝まで無失点投球と完璧な投球術を披露し完全復活を果たす。
3年夏の甲子園ではチームをベスト4に導く活躍を見せ立役者の一人となる。投球時のしなやかな腕の振りは松坂を彷彿とさせ、課題の制球難も克服して実力を発揮した夏となった。

 

2002年  福井 良輔 (国際武道大→JFE東日本)

 

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横浜高校時代は2年夏に甲子園出場を果たしている。
畠山の控えとして活躍し準決勝では先発を任されるも8回6失点で敗戦となる。
左腕スクリューボールを武器としており、併せて制球力も抜群であった。
控えの本格派右腕・山木と千葉の3本柱で横浜を支えていた。

 

2003年 成瀬 善久 (千葉ロッテマリーンズ東京ヤクルトスワローズ

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高校時代は何度も故障に悩まされるが、第75回春で3回戦の明徳義塾からの劇的勝利で勢いに乗り、準優勝を果たす。
決勝では西村‐白濱バッテリーの広陵高校と対戦し、先発した1学年下の涌井をリリーフしたが共に打ち込まれ、3-15という大敗を喫した。
第85回夏神奈川県大会では決勝進出を果たすも給前と、1学年下に田澤を擁する横浜商大高校に敗れ春夏連続出場を逃す。
2003年度ドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから6巡目指名を受けて入団。

 

2004年 涌井 秀章 (埼玉西武ライオンズ千葉ロッテマリーンズ

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入学時から松坂大輔二世と呼ばれて、第75回春に1学年上のエース成瀬善久らと共に甲子園出場。
準決勝までは成瀬のリリーフとして登板していたが、決勝戦では先発するも、広陵高の打線に打ち込まれ3-15と大敗した。
第85回夏神奈川県大会では3回戦の港北高戦で成瀬に代わり先発を務めるも、ノーシード高相手にリードを許す苦しい展開となり成瀬の休養に失敗するも、9回逆転で辛くも勝ち上がる。
チームは決勝進出を果たし、3年エース給前、2年の田澤を擁する横浜商大高校と対戦し、肩を痛めていた成瀬が1回で降板し、2番手涌井も失点を重ね、打線も奮わず春夏連続出場を逃した。
3年夏には第86回夏1回戦の報徳学園戦では完投で投げきり、打撃でも本塁打を含む2安打を記録するなど大暴れをした。
2回戦の京都外大西戦では延長戦にもつれ込んだが完封で勝利し、3回戦の明徳義塾戦は5点を失うも完投勝利。
準々決勝の駒大苫小牧戦では7回5失点を喫しチームも1-6で敗れたがスカウトの評価は上がる一方だった。
秋の国体では東北相手に14奪三振を記録し完投勝利するなど、当時からスタミナのある投手として定評があった。
2004年ドラフトで西武ライオンズから、単独で1巡目指名を受ける。

 

2005年 櫻田 裕太郎 (八戸大→Honda)

 

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1年秋からベンチ入りするなどエースとして将来期待されるも、左ヒザ痛(1年秋)左ヒジ痛(2年春)などケガに泣かされ本来の力を発揮するには程遠く、
23年ぶりノーシードで臨んだ3年夏はエース番号で挑んだが、県大会4回戦敗退と全国舞台の甲子園には縁がなかった。

 

2006年 川角 謙 (青山学院大東芝

 

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1年秋からエース級の活躍をみせチームの柱として期待される。
ストレートの切れと多彩な変化球、抜群の制球力で打ちとる投球術は安定感抜群であったが、2年夏は4回戦敗退と残念な結果で終わってしまう。
秋はエースとしてフル回転しチームを県大会優勝に導く活躍をみせた。関東大会ではベスト4であったが、3年春センバツ出場。
初戦は1安打完封勝利で前評判以上の活躍をし、途中降板した試合もあったが、5試合に先発してセンバツ優勝投手になった。
最後の3年夏も甲子園に出場し、春夏連覇が大いに期待されたが初戦敗退で春夏連覇の夢は散ることとなった。

 

2007年 落司 雄紀 (立正大学~和合病院)

 

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1年夏からベンチ入りするなどし経験を重ね、2年時には春夏甲子園出場を経験する。
2年夏の大阪桐蔭戦では救援登板して、中田にバックスクリーンに本塁打を打たれた。
2年秋からは左の浦川との2枚看板で春夏の県大会ベスト4に貢献。3回戦ではノーヒットノーランを記録達成するなどスカウト評価も上げていた。
投げるだけでなく、打撃も光るものがあり外野手兼任でクリーンアップを担うなど野手としての期待もあった。
140キロ前後の速球とスライダーとのコンビネーションは、プロをも充分意識出来る内容だったが、夏以降の投球はイマイチで、直球の球速・手元での伸びに欠け、春ほどの勢いはなかった。
3年春では、横に曲がるスライダーが、夏にはスラーブのような球になるなど、肘が下がりまともな投球とはならなかった。

 

2008年 土屋 健二 (北海道日本ハムファイターズ→横浜DeNAベイスターズ
          (現在はアスリートマネジメント会社「M.H.B」代表)

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横浜高では1年春から公式戦に出場。
同夏は野手として起用され代打ながら1打席甲子園を経験している。
1年秋からは外野手・一塁手兼控え投手とユーティリティープレイヤーとして期待され、2年夏は打撃力を買われ4番も務めた程。
2年秋に5番エースとして県大会優勝、関東大会優勝、神宮大会準優勝と結果を残した。
優勝候補としてのぞんだ3年春は北大津に2対6で敗れ初戦敗退となったが、夏の甲子園では粘り強いピッチングで5試合4完投44回を投げ切るスタミナをみせ4強入りを果たしている。
長身細身の左腕、好打の外野手は、ヒジを柔らかく使った腕の振りから最速141㌔、120㌔前後のスライダー、110㌔台のチェンジアップ、その他カットボール、カーブを投げ分ける。
小さめのテイクバックで出所を隠し球持ちの良い腕の振りから投げ込む姿は成瀬を思い浮かばさせる。
緩急を付けコーナーに投げ分ける投球に持ち味でフィールディングにも優れている。
高校通算25本塁打の長打力で、打撃センスに優れたシュアな打撃の左の中距離打者。
社会人野球のJR東日本入りが内定していたが、プロに対する気持ちが強くプロ志望届を提出し、北海道日本ハムファイターズにドラフト4巡目で指名される。

 

2009年 中岡 真弥 (城西大→フェデックス

 

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2年次にはエース番号の『1』を貰うなどチームからは期待されていたが、甲子園出場の機会には恵まれなかった。
2年春の関東大会では公式戦初完投でチームの逆転勝ちに貢献し、県大会の後半、監督のアドバイスで右上手から横手投げに変更。
これが投球の安定感を生み、エースとして成長はみせたがもう一つ伸びなかった。

 

2010年 齋藤 健汰 (鶴見大→?)

 

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横浜高では1年春から公式戦に登板するなど期待を寄せられていた。
2年春にはエースとなり、夏は初戦の津久井浜戦に先発し6回を完全に仕上る投球を披露するなどを切ると
2年生エースとして存在感を示していた。
恵まれた体格のスリークォーター右腕は、しなやかな腕の振りからMax142キロの伸びのあるストレートとスライダーが武器。
武器とするスライダーは大きく曲がる球、打者の手元で小さく変化するカットボールのような2種類を投げわけ打者を翻弄する。
まとまりあるコントロールも持ち味で打者にとっては嫌なタイプだったであろう。
2年秋に右肩を負傷し打者に転向。春からは打撃を生かして野手に専念し夏は4番一塁手とチームの主軸に座った。
県大会.344と甲子園出場に大きく貢献し、夏甲子園もベスト16ではあったがが、2試合で.444とチームに貢献した。

 

2011年 山内 達也 (福井ミラクルエレファンツ→?)

 

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1年春から公式戦に出場し、同夏には左肩に違和感がありながらも5試合を投げ、県大会準優勝になり注目を集める。
秋には主戦格としてチームを引っ張り最多42回2/3を投げ、県大会V、関東大会4強の立役者となる。
背番号1となった2年春選抜は、波佐見に5安打7四死球4失点を許し5回で降板となる悔しい結果となった。
その後は3月に左肋骨を痛めた影響で精彩を欠き、夏の県大会での登板は6イニング止まり。
甲子園では2回戦智弁学園戦に救援登板するも、1死も取れず2安打1失点で降板となり、投手としての道から野手に転向した。
転向後、秋の大会で打率.391本1点6の活躍で県優勝・関東8強に貢献。
3年春選抜では4番一塁手で3試合4安打、3年夏県大会では12打数3安打点1に留まり、桐光学園に3対4で敗れ準々決勝敗退。
プロ志望届を提出したが指名はなく、投手としての復活を目指し、BCリーグ入りを決めた。

 

2012年 柳 裕也 (明治大学中日ドラゴンズ

 

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横浜高校が甲子園で試合をするのを見て「かっこいい」と憧れを抱き、松坂や涌井らプロで活躍する選手と同じ高校でプレーしたいという強い思いで横浜高校への進学を決めた。
高校時代は3度の甲子園出場を果たした柳。
2年生の夏は5試合に先発、激戦区神奈川を制する原動力となり、甲子園の土を踏み、2年の夏の甲子園から背番号1を背負い、チームをエースとして引っ張った。
そして高校野球の集大成で臨んだ3年生の夏には4試合に登板。準々決勝での桐光学園戦は7回まで1失点と好投していたが、8回2死から突如の乱丁で3連続適時打で3点を失い降板となる。
チームは敗れ、4季連続の甲子園を逃してしまったが試合後、監督から「お前がいたから甲子園に行けた。お前に出会えて良かった」と、言葉を掛けられ、この言葉で確信を持った。
横浜高校に来たことが間違っていなかった、あの試合に行きつくまでで大きく成長できた」と仲間と過ごした毎日が、技術面だけでなく精神面でも成長させた。

 

2013,14年 伊藤 将司 (国際武道大)

 

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1年秋から控え投手としてベンチ入りをし、将来のエース候補として期待された。
2年春のから主力投手としてチームを引っ張り、2年夏の県大会優勝の原動力となる。
全7試合(5回戦から4連続完投)を投げ、49.1回で4失点、防御率0.73を記録。
甲子園では左肩違和感を抱えながらも9回14Kをマークし完投勝利するも、高橋擁する前橋育英戦は、6回5失点ノックアウトと1対7の大敗に終わった。
同年秋予選全8試合の先発を務め、肩疲労で苦しみながらも関東8強に進出。
3年春選抜は八学光星に打ち込まれ、合計4回8安打7失点、5対9で初戦敗退に終わった。
春県大会では控えだったが、関東大会で再び主戦を務めたが、6.0回9四死球6失点と乱れ、44年ぶりコールドで敗退した。
3年夏は東海大相模に6回8安打5失点ノックアウトで敗れ県大会ベスト4敗退と本来の力が発揮できず終わりを迎えた。

 

2015,16年 藤平  尚真 (楽天

 

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1年春からベンチ入りするも肩ヒジの成長痛で1年夏県大会のベンチを外れるが、1年秋から早くも背番号1の座を獲得する。
2年夏には27.1回22K6失点の実績を残し、準決勝で自己最速の148㌔を計測。
エースとして8試合中7試合(リリーフ5)に登板し、4回戦・県相戦で初完封勝利を挙げている。
同年8月31日に行われた練習試合で千葉敬愛相手に15K完全試合を達成し一気に名前を挙げた。
2年秋の県決勝・桐光戦で最速151㌔を叩き出し、4安打10K2四死球完封勝利を記録するなど確実にエースへの道を辿っていった。
3年夏の甲子園初戦では圧巻の奪三振ショーが初回から始まり、5者連続三振。7回途中まで投げて13奪三振1失点の投球で、名門・東北打線を寄せつけなかった。
次の履正社戦では2回途中から登板し6回1/3を4安打7三振無失点と好投はしたが、打線がエース寺島から1点しか奪えず敗れた。

 

2017,18年 板川佳矢(国際武道大)

 

【横浜(南神奈川)-愛知産大三河(東愛知)】横浜の板川佳矢。八回を無失点に抑える好投を見せた=9日、甲子園球場(水島啓輔撮影)

1年秋からエースとして背番号1を背負いチームを牽引。

2年夏には甲子園に出場。初戦・秀岳館戦でリリーフ登板し2回1/3を0点に抑えるもチームは敗退。
2年秋の神奈川県大会では鎌倉高校相手にコールド負けを喫し、悔しさからエースの自覚が芽生えたという。
3年夏の甲子園では3回戦まで勝ち進むも、吉田輝星率いる金足農業に敗れる。
腕の振りがよくストレートは最速140㌔ながらバッターは数字以上の勢いを感じます。変化球はカーブとスライダーを投げストレートとの緩急あるピッチングも持ち味でした。小柄ながらも躍動感があり、制球力も良いピッチングに定評があった技巧派左腕でした。侍ジャパンU18日本代表にも選ばれた。
現在は国際武道大学に進学し2022年のドラフト指名候補。

 

2019年 及川雅貴阪神タイガース

 

1年春からベンチ入りし2年秋からエースとして背番号1を背負う。1年夏、2年夏、3年春と3度の甲子園大会出場を果たし、奥川恭伸(星稜)、佐々木朗希(大船渡)、西純矢(創志学園)とともに「高校BIG4」と呼ばれていた。
しかし制球難に悩まされ地方大会を含め各大会では目立った結果を残すことができず、一時は背番号1を一学年下の木下幹也に奪われている。
3年春の選抜では初戦の明豊戦に先発するも3回途中5失点で降板し試合も敗戦。3年夏の神奈川県大会では、準々決勝の相模原戦にリリーフ登板するも1回2/3で3失点し逆転負けを喫している。
横浜が夏の県大会で公立校に敗れるのは1997年の横浜商業戦以来の出来事だった。
2019年ドラフト会議にて阪神タイガースよりドラフト3位指名を受けプロ入りをする。
スリークォーターから最速153㌔のストレートを武器とし、変化球はスライダーを軸にカーブ、チェンジアップ、ツーシームを投げ、2021年には自己最速となる153km/hを再び記録している。

 

2020年 木下幹也読売ジャイアンツ

 

神奈川の注目選手(6) 横浜高・木下幹也 ドラフト「運命の日」へ | カナロコ by 神奈川新聞

1年夏の神奈川県大会では背番号19を背負い公式戦デビューを果たす。リリーフで2試合に登板しいずれも無失点の好投を見せたが、出場した甲子園ではベンチ外だった。
1年秋は背番号10を背負いで関東大会に出場しベスト8まで進出。
2年春の選抜にも出場。2年夏の神奈川県大会では背番号10ながらもチーム最多の3試合に登板しベスト8。
2年秋の公式戦では背番号1を背負い8試合中5試合に登板し神奈川県大会優勝&関東大会ベスト8入り。
3年は松本隆之介との二枚看板で背番号1を交互に背負いチームを支えたが、3年春の選抜では初戦の明豊戦にリリーフするも2回2/3を2安打2四球3失点と結果が残せなかった。
3年夏の神奈川県独自大会は準々決勝で敗退している。
2020年ドラフト会議にて読売ジャイアンツから育成ドラフト4位指名を受けプロ入りしている。
185cmの長身から繰り出される最速147km/hの直球と、カーブ、スライダー、カットボール、スプリット、チェンジアップなどを操る本格派右腕。

 

2020年 松本隆之介(横浜DeNAベイスターズ

 

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1年春からベンチ入り。2年春の選抜に出場し1回戦の明豊戦で及川雅貴の後を受け3回途中から登板するも、2回1/3を投げ5安打5失点と崩れ初戦敗退となった。
2年生の4月には、2年生投手でただ1人U-18日本代表候補入りした経歴を持つ。
3年は木下幹也との二枚看板で背番号1を交互に背負いチームを支えたが、3年夏の県大会独自大会は準々決勝で敗退している。
2020年ドラフト会議にて横浜DeNAベイスターズからドラフト3位指名を受けプロ入りしている。
リーチが長い長身細身のサウスポーで未知なる潜在能力が魅力。最速152㌔のストレートを武器に内角を突き、スライダーなどを交える。

 

2021年 金井慎之介

 

横浜エース・金井 雪辱の夏、“先輩”松坂魂オール直球1回2K零封 チームは31点圧勝― スポニチ Sponichi Annex 野球

1年夏から背番号18番を背負いメンバー入りし、初戦の旭陵・向陽館戦で救援デビューを飾る。
準々決勝の県相戦で6番ライトで初スタメンを掴むと、敗戦したが中前打、右前打を記録した。
1年秋にはライトでレギュラーを掴み、打率.286、本1点4の実績を残す。
5番に抜擢された地区予選初戦の神奈川大附属戦ではライトへの二塁打2本をマーク。
7-1の快勝を収めた県大会3回戦の弥栄戦ではライトに叩き込む公式戦1号2ランを放つ。
2年夏の独自大会はベンチ外となるが、2年秋には3番でエースの座を獲得し復活する。
先発を担うも、肘痛を抱え、準決・相模戦を0回1失点、7回1-9で敗退となる。
その後も制球難に苦しみ結果を残せず、3年夏の県大会では背番号7での出場となった。
打者として3番・レフトで打率.423本0点12の活躍を演じ、投げてはリリーフで3試合2.1回3四死球0封を記録。
3年夏の甲子園では1回戦・広島新庄戦で2単打1盗塁の聖地デビューを果たし、2回戦・智弁学園戦では2番手として登板し、140㌔直球で8回1イニングを無失点に抑えるもチームは敗退。
ワインドアップからタメを作り前傾しながら重心を下げ、早めの着地にヒジを使ったしなやかな腕の振りから投げ込まれる最速148㌔のストレートと、スライダー、チェンジアップなどの変化球が持ち味。
スイングスピードの速い振り切るスイングができる左の好打者としても定評がある。

 

2021年 山田烈士

 

神奈川】 松坂に憧れる横浜の「背番号1」山田烈士が4回無失点 「全てがお手本です」 : スポーツ報知

金井慎之介のバックアップとして2年から投手として取り組む。
2年秋の秋季大会・武相戦で背番号10を付けて先発すると、5回1安打5奪三振無失点で完封しコールド勝利を収めている。
3年春には金井慎之介を抑えてチームで1番イニングを投げた。
3年夏は背番号1を背負い2試合に登板し神奈川県大会優勝に貢献。
ホップするようなストレートに、キレのあるスライダーも抜群で手元でグイっと変化する。テンポの良い投球は野手に良いリズムを与え、投げっぷりの良い投球をする。

 

2021年 杉山遙希

 

甲子園】 横浜の先発は「背番号1」の1年生・杉山 智弁学園はエース西村…第4試合のスタメン発表 : スポーツ報知

1年春からベンチ入りすると、春の神奈川県大会でリリーフデビュー。
6月に行われた大阪桐蔭との練習試合では最速139km/hのストレートとチェンジアップを軸に5回2失点の好投を見せてくれました。
1年夏には背番号15を背負い神奈川県大会では、チームトップの4試合に登板。
準々決勝と決勝では先発を任され、4試合に登板、18回1/3、18奪三振2四球5失点の活躍で優勝に大きく貢献しました。
続く夏の甲子園では1年生ながら背番号1を背負い、1回戦広島新庄戦ではリリーフとして1回3安打1失点。2回戦智弁学園戦では先発し4回6安打1奪三振3失点と思うようなピッチングができませんでした。
ルーキーらしからぬ強心臓と最速140km/hのストレートが武器の本格派左腕です。
変化球はスライダー、カーブ、チェンジアップがあり、コントロールも良く安定感があります。

 

 

いかがでしたでしょうか。

横浜高校のエース達をご紹介してきましたが、

松坂を筆頭に成瀬や涌井のエースもいれば、

今ドラフトで名前の挙がった柳や藤平など新戦力も輩出する一方で、

必ずしもエースが活躍しプロになるわけでもないのも事実です。

調べてみると面白いものですね。

 

次回はどこをピックアップしましょうかね。

希望があればコメント待ってます!

 

それではまた

 

(※不適切な写真、文章、誤報があれば対応、削除致しますので御指導ください)