社会そのものに障害がある。
今回は雑記。
この1ヶ月新人研修をしつつ、業務もするというマルチタスクの極みですが、新人さんに研修するのが楽しいなと感じました。
なんだかんだ二桁を越す人数の新人研修をしてきたのと、この3年間毎日発達、精神障害の人と接する職場という中で成果を出しながら、サポートもするという特殊な環境下に属したからこそ、当事者の生きづらさ、困り感がダイレクトに伝わり勉強になっています。
新人の子と話していて、社内報、某会社のインタビュー、イベント、過去の発達障害の活動をしてるのを知って会社に入りたいと言ってくれて嬉しかったです。
少しは同じ悩みを抱えてる人の役に立てたんだなと思うと何とも言えない気持ちが込み上げてきました。
発信する大切さを知りました。
徐々に配慮はするけど障害者だから特別扱いしない、頑張れば頑張った分の成果と信頼を勝ち取れるという形になりつつあるのは、障害をオープンにして働き色んなことに挑戦したい人にとっては良い環境が整いつつあるのかなと思う。
少し前の障害者雇用のイメージは、簡単な軽作業、コピーの印刷、清掃とかで選択肢が凄く狭く閉鎖的なイメージだった。
それが個人的には嫌だった。
自分がそういうのが苦手だったからかもしれないが。
何なら障害者雇用という概念すら本当は嫌です。
今の会社に入って実感したけど、みんな何かしら特性はあるので、障害あろうがなかろうが補うというのを前提な社会が今後いつか来ると思う。
来てるのかもしれないけど。
思考を停止せず、如何にアップデートをしていく柔軟性が大事なのは大好きなスポーツを観てても思う。
一流の監督、選手はそこに対応できてるからこそ第一線で活躍している。
これは人生も同じだと思う。
うまくまとめれないけど、自分で考えるという習慣は大切ですという事。
僕は考えすぎるという沼にハマりがちですが。
ヤス